Apr 30, 2012

【COLOMBIA】 TUMACOのカカオ

コロンビアという国は日本ではあまり知られていませんが、南米でもブラジル、エクアドルに続いて沢山のカカオを栽培している国です。

現在私たちはこの土地で様々なカカオの品種向上、開発に携わっていますが、そのなかでも今回はTUMACO(トゥマコ)のカカオ豆についてご紹介致します。


トゥマコはコロンビアでもエクアドルとの国境沿いに位置する港町。正面に広がる太平洋の他、4本の大きな川がこの土地の四方から海へと流れ注ぎます。入り組んだ海岸沿いにはマングローブがあたり一面に植えられていて、その間を現地の人々の小舟が行き交います。

内陸部は道路などのインフラ整備が比較的進んでいるのですが、小さな村が無数に点在する海岸部は、未だボートを使用しないと行き着くことは出来ません。カカオにしても然り。山中で栽培して加工したカカオ豆は、小舟やボートで1時間以上かけて、港町のカカオ豆買い取り所まで売りに行きます。

小舟で河川を移動

彼らのそういった生活の根底には、この土地の特別な歴史が大きく関係しています。

TUMACOという街の名前は、インディヘナの名前に由来します。エクアドル北部からこの地域まで、4000年以上前からこの土地にはトゥマ族と呼ばれるインディオの末裔が、マングローブの森に囲まれて暮らしていました。ところがその後、1526年ペルーのインカ帝国を征服した、かのフランシスコ・ピサロが到着すると、1598年にイエズス会のメンバーであるオノフレ・エステバンがインディヘナたちを追い出し始め、1610年にスペイン財団としての街を建設しました。

その後17世紀前半には、当時ペルー、ボリビア、アルゼンチンで生産された多くの物資が、ペルーの港町カヤオからパナマへと運ばれる太平洋貿易の中継地点として、トゥマコは重要なポジションに着きました。その際、くしくもアフリカからの奴隷も含む、多くの人々や文化が混ざるようになったと言われています。

18世紀までの間、イギリスやオランダの海賊達の攻撃を何度も受けながらも、スペイン太平洋アメリカ貿易の拠点港としてトゥマコは位置していました。思うにこの頃アフリカから連れてこられた奴隷や現地のインディヘナたちは、過酷な労働条件を突きつけられていたのでしょうか、ついに1781年、宗主国スペインのやり方や規則に従えぬ現地民が反乱を起こしました。その反乱は翌年鎮圧されたものの、そのとき逃げてきた奴隷達はマングローブの茂みのある、海辺や川縁の地域へと散っていきました。

マングローブの茂る海岸線

トゥマコに降り立つと、そこが他のコロンビアの地域と大きく違うのが一目で分かります。ここはそういった歴史から、アフローコロンビアン(Aflo-Colombian)と呼ばれる、歴史の断片で生きている人々が大勢いるのです。そしてずっと昔からの先住民であるインディヘナの人々も。

海沿いで、豊かな土地であるにも関わらず、トゥマコを含む周辺の地域は経済的に厳しい地域でもあります。エクアドルとの国境、昔はカカオを栽培していたであろうその技術も、様々な歴史の狭間で途絶えてしまった節もあります。

TUMACOのカカオ農家の皆さん

今私たちが行っているのは、そんなローカルなカカオを集め、その可能性を見極めること。【トゥマコ・レヒオナル】。その地域に自生するカカオを集めた、唯一無二のコレクションカカオ豆です。

一昨日地元生産者から頂いたそのカカオ豆サンプルは、通常の規格を遥かに超える、まれに見る大粒のカカオ豆。ここには沢山の可能性が詰まっています。

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